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星界の道~航海中!~

星界の道~航海中!~

勤行御観念文について(一)

浅井先生講義(平成10年5月15日・本部会館)

勤行御観念文について(一)

「新しい時代迎え御観念文を改正」

  「新しい段階を迎える」
 顕正会の御奉公は、いよいよ新しい段階を迎えました。
 これまで全顕正会員は、勤行の際、広宣流布大願成就と御遺命守護完結大願成就の二つを、真剣に祈念してまいりました。
 しかし四月五日、戒壇の大御本尊様の不思議なる還御により、不敬・冒涜は一挙に解消され、またいかなる大地震が起ころうとも大御本尊様は御安泰となられた。
こんなに有難いことはありません。
 ここに御遺命守護の御奉公は完結し、残るは広宣流布・国立戒壇建立のただ一事となった。
まさに顕正会の御奉公は、新しい時代を迎えたのであります。
 この新しい時代を迎え、私はいよいよ勤行における御観念文を改めていきたいと思い、本日、この集会を開いたわけであります。
 実は観念文のことについては、私は何年も前からずーっと考えておりました。
 従来の宗門の観念文は、間違っているわけではないが、やや粗略、意を尽くしてない、そして法門上において紛らわしいところがある。
 御観念のたびにそれが心にひっかかって、ここはこのように御観念しなければいけないと、前々から自分一人だけ、そのようにしてまいりました。そして、時来たるならば、全顕正会員にこのことを、と思いつつ、本日まできたのであります。

  「讃嘆すれば弥(いよいよ)功徳が増す」

 御観念文の肝要は、下種三宝様への御報恩です。
三宝とは、仏宝は御本仏・日蓮大聖人、法宝は本門戒壇の大御本尊、僧宝は二祖・日興上人であられる。
この下種三宝尊の大恩徳を讃嘆し、報恩し奉ることこそ最も大切です。
有難いことに、この三宝尊の御観念文については、日寛上人が当家三衣抄にその大綱をお示し下されている。その御指南をもととして、今回、より丁寧に、より正確に、御観念文を改めたわけであります。
 大聖人様は「法華経の功徳は、ほむれば弥功徳まさる」(妙密上入御消息)と仰せられている。
御本尊の功徳というのは、ほめればほめるほど、讃嘆すればするほど、いよいよその功徳が増すのです。
 ここに広宣流布の時を迎え、これから入信してくる大勢の日本国の大々に、下種三宝尊の大恩徳を、新しい
御観念文で、より丁寧に、より正確に讃嘆せしめ、功徳を積ませたい。
この恩いから、今回改正を決断したわけであります。

  「広宣流布の時」

 もう広言流布しなければならぬ時が来ましたね。
 どうですか。昨年の一国諌暁からわずか十ヶ月、この日本の急速な傾きは・・・・。
 私は「亡国の予兆としてまず経済崩壊が・・・」といってきたが、もう日本の経済崩壊は誰の目にも明らかでしょう。
また地震活動も列島全体に活発になってきた。
 国際情勢も激変ですね、インドネシアは動乱で、あっという間におかしくなった。
東南アジア全体の昨年七月までの経済成長は、年率七パーセントだった。
ところがまたたくまに経済危機に陥ってしまった。
このアジアの経済危機が日本に影響し、それがまた全世界の混乱を招くのです。
 そしてインドがついに核実験をやった。
対立しているパキスタンも必ずやるでしょう。
その動きに触発されて、やがて中東のイスラム国家が核を持ち、北朝鮮も核開発に動く。
もう核拡散の流れは、誰にも止められない。
そういう時代になってきたのであります。
まさに「闘諍堅固の仏語地に堕ちず、あたかもこれ大海の潮の時をたがへざるがごとし」 の仰せのままです。
もう広宣流布しなければ、どうにもならぬという時を迎えているのであります。
 いま日本人は、かつての安逸の夢はすでに破れ、不安の中に胸の奥で"頼るべき杖・柱"を探し求めている。
 この一人ひとりに、いよいよ御本尊様を広く信ぜしめ、新しい観念文を教え、下種三宝様を讃嘆せしめたい、報恩せしめたい。
 このゆえに今回、御疑念文の改正を決断したわけであります。

  「御在世の信行に立ち還る」

 そしていま、不思議に思うことがある。
それは、顕正会の信行の形、勤行の姿が、自然と大聖人御在世に立ち還っているということです。
熱原の法華講衆の方々の勤行の姿、それがいま顕正会の中に蘇ってきているのであります。
 いいですか。熱原の方々は、御在世に生まれ合わせていても、大聖人様にお目にかかることはなかった。
いま顕正会も、御遺命を守り奉ったゆえに不当の処分を受け、時来るまで戒壇の大御本尊にお目通り叶わ
ぬ立場である。
 しかし、たとえ大聖大のおそば近くにいても、大進房・三位房等は大聖人の御心に叶わなかった。
お目にかかれなくても熱原の方々は、深く御本仏の御心に住し奉り、戒壇の大御本尊の願主となっているのです。
 いま戒壇の大御本尊のおそばにいる人々は、不敬・冒涜を平然と犯していたではないか。
登山の叶わぬ顕正会だけが、不敬解消の忠誠を貫いてきた。
いずれが大聖人様の御心に叶うのでありましょうか。
 また熱原の方々は、未だ御本尊を一人も頂いていなかった。
リーダーの神四郎・弥五郎・弥六郎の三人にしても、御本尊を頂戴できたのは首を刎ねられたのちですよ。
当然、日頃の勤行は遥拝勤行であったということです。
 御在世には、御本尊の授与がどれほど厳格であったか。
入信したからといって、簡単には頂けなかった。
まず遙拝勤行でしっかりと信行に励み、身命も借しまぬ信心が決定してのち、初めて授与されたのです。
 このことは日興上人の「富士一跡門徒存知事」の仰せを見ればよくわかります。
当時、日向・日頂等の輩は御本尊を軽く扱い、大聖人の御本尊を形木刷りにしては不信の者に授与していた。これを耳にされた日興上人は、こう仰せられている。
 「日興の弟子分においては、在家・出家の中に、或いは身命を捨て、或いは疵を被り、若しは又在所を追い放たれ、一分の信心の有る輩に、恭くも書写し奉り之を授与する者なり」と、 仏法のためにあるいは身命を捨て、あるいは傷を受け、あるいは住所を追い出されるなど、色にあらわれた強信の者にのみ、御本尊を授与するのである――と。
この中の「或いは身命を捨て」というのは、まさしく熱原の方々を指しているのです。
 御在世の御本尊授与がいかに厳格であったか、これでよくわかりますね。
当然、御本尊を頂くまでは、みな遥拝勤行であったということです。
 いま顕正会また同じ まさしく顕正会は、御在世のこの厳格の信行を、今に移し、実践させて頂いているのであります。

  【遥拝勤行の精神】

 次に遙拝勤行の精神ですが、これは大聖人様が佐渡の千日尼に下された御指南に明らかです。
「譬えば、天月は四万由旬なれども大地の池には須臾に影浮かび、雷門の鼓は千万里遠けれども打ちては須臾に聞こゆ。御身は佐渡の国にをはせども、心は此の国に来れり、乃至、御面を見てはなにかせん、心こそ火切に侯へ」と。
 ………天月は四万由句の遠くにあっても、その影は直ちに大地の池に浮かぶ。中国の雷門にあった鼓は、打てば千万里離れている所でもすぐに聞こえた。これと同じように、千日尼の身はたとえ千里を隔てた佐渡にあろうとも、心はここ身延に来ているのである。
たとえ対面しても信心がなければ心は通じない。信心さえあれば離れていても直ちに通ずる。まさに信心こそ大切なのである―― と。
 これが遙拝勤行の精神です。信心に距離は関係ないのです。どれほど遠く離れていようとも、信心だに純粋ならば、恋慕渇仰の信心だにあるならば、南無妙法蓮華経と唱え奉れば直ちに大聖人様の御心に通じ、瞬間に戒壇の大御本尊様に通ずるのであります。
 たとえ大石寺に在勤し大御本尊のおそばにいても、あくびの出るような信心をしていては、大聖人様には通じない。
大進房・三位房はおそばにいても、「雖近而不見」(近しと雖も而も見えざらしむ)だったではないか。熱原の方々はお目にかかることもできなかったが、大聖人様の御心に住し奉ったのであります。
 いま顕正会は、御遺命の破壊されんとするを見て守護に立ち上がり、ために死罪に守しき解散処分を受け、登山も叶わず、御本尊下附も叶わぬ立場になったが、不思議にも、このことによって、自然と御在世の信心が全顕正会に蘇ってきたのであります。
 そして遙拝勤行のままいま五十六万の死身弘法をなしとげ、全員が功徳に歓喜している。これほどの不思議がありましょうか。
まさに"末代の不思議"であります。これ偏えに、大聖人様が御守護下さる以外には全くありません。
 そしてまた、今回の不思議の還御を眼前にするとき、"広宣流布も必ず成る"の確信、抑えんとしてもどうしようもない。

 【熱原の法華講衆の勤行】

 さて、では熱原の法華講衆は、どのような勤行をしておられたか。その勤行の内容・仕方はどのようなものであったか。それを考えてみたい。
 このことについては、先般拝読のあの松野殿御返事が、重大な文証であります。
 松野殿は自らの勤行の姿を、このように大聖人様にご報告申し上げている。
  「此の経を持ち申して後、退転なく十如是・自我偈を読み奉り、題目を唱へ申し候なり」と。
 この勤行内容は、大聖人様そして日興上人が、松野殿に手をとるようにして"このように勤行しなさい"と教えて下さったものに違いない。
 すなわち方便品・寿量品を読誦し、題目を唱え奉る。これが御在世の勤行です。方便品も「世雄偈」は省略して「十如是」だけ、寿量品も長行は省いて「自我偈」だけをお勤め下されている。
方便品はともかく、寿量品を「自偈謁」だけにされたのは、入信早々の松野殿の機に応じての御指導と思われます。
 これを以て思うに、熱原の方々の勤行もこれと同じ、方便・寿量を読誦し唱題し奉るという形であったに違いない。
決して現在のいわゆる「五座の勤行」ではないでしょう。
 広く大衆を教化し実践せしむる時においては、五座の形はあり得ない。
三大秘法修行の本質・元意をとって実践せしむる。
これが御在世における一般大衆への御教導であられたと、私は拝する。

      【五座の勤行について】

 ちなみに云っておきます。
五座の勤行の起源はどのようなものかというと、昔、総本山においては、天堂・本堂・御堂・客殿・墓所の五箇所を、時の貫首上人が毎朝回わり、各堂ごとに方便・寿量・題目を一座づつ勤め、御報恩申し上げていた。
それが次第に客殿の一ヶ所でまとめて行われるようになり、現在の五座の勤行となった、といわれております。
戦前の五座の勤行は、方便品の「世雄偈」も読むからたいへん長かった。
だから丑寅の勤行において、夏などは夜が明けてしまうこともあったと聞いております。
近年はいつのまにか「世雄偈」は省略されておりますね。
私は、この五座の勤行というのは、広宣流布を待つ総本山の化儀、ひたすら時を待たれる歴代先師上人の、尊い御所作であると思っております。

  【本質・元意の実践】

 ただし、いま広宣流布の前夜、広く大衆に仏法を実践せしむる時においては、御在世の勤行に立ち還るのです。
大聖人様が松野殿にお教え下さった勤行の本質・元意に立ち還って、広く大衆を救っていかなければなりません。
 よって顕正会においては、方便品(十如是)と寿量品(良行・自我偈)を読誦し、題目を唱え奉るという勤行を以て、広く大衆に教えていきたい。
 唱題は五分を基準として、あとは心に任せて、十分でも、二十分でも、三十分でもよろしい。
お題目を唱え奉ることは最も大事であるから、五分を一応の基準とするが、あとは心に任せるということです。そして最後に御観念を以て、下種三宝様に報恩し奉る。これが勤行の骨子であります。
  
  【勤行の骨子】
 もう一度いいますよ。勤行の内容は次の三つから成り立っているのです。
 (1)方便品・寿量品の読誦=助行。
 (2)唱題=正行。
 (3)三宝様への御報恩。
 まず方便・寿量の読誦を助行という。
正行甚深の功徳を助顕するから勤行というのです。すなわち方便・寿量の両品は、遠く近くの差はあっても、それぞれ大御本尊の甚深の功徳を説明し讃嘆しているのです。
ゆえにこの両品を読むことにより、大御本尊の功徳を助け顕わすことになる。
たとえ経文の意味がわからなくとも、読誦をすれば、自然とその意味あいに当るのです。
 次に正行とは、戒壇の大御本尊を信じ南無妙法蓮華経と唱え奉ることです。
戒壇の大御本尊は御本仏日蓮大聖人の御当体・魂魂であられる、この大御本尊を信じ南無妙法蓮華経と唱え奉れば、大御本尊の仏力・法力によって、必ず一生成仏を遂げさせて頂ける。
ゆえにこの唱題行こそ正しき成仏の修行そのものであるから、正行というのであります。
 そして最後に、末法下種の三宝様の大恩徳を讃嘆し報恩し奉る。
それが今回の御観念文です。
さらにこの三宝御報恩に付随して、広宣流布の祈念、回向をするというわけであります。
 この勤行の骨子をしっかりつかんで下さい。
そして顕正会員は日本列島のどこに住んでいようとも、冨士大石寺に向って手を合わせ、"戒壇の大御本尊眼前にまします"
の信心に住し、誇りを以て御在世のままの遥拝勤行に励んでほしいのであります。


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